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紀北町観光協会
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FAX 0597-46-3556
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魚飛渓TOPイメージ

 銚子川の支流である又口川に魚飛渓は存在する。魚飛渓は夏の水遊びなどで有名だが、形状石について知る人は少ない。 その形状石について詳細に調査し、昭和58年(1983年)に発表した海山郷土史研究会の濱口禎也氏に話を伺うことができた。 大変興味深い話であり、語り継ぐべきであると思い、形状石について写真付きで紹介させてもらうことになった次第である。 魚飛渓の楽しみ方として、形状石を見物するジオツーリズムを提案したい。

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にんがら淵イメージ

海山区木津(こつ)地区の銚子川本流(写真右)と支流の又口川(写真上)が合流する地点です。 合流するため瀬音により賑わうことが名前の由来という。大正時代まで筏流しなど船が行き来していた所で又口川左岸には船着場があった。 底が見えないほど深かったらしいが、現在は堆積している。川も変化を続けていると感じられる場所である。

魚飛橋イメージ

銚子川本流に架かる赤色が印象的な橋(延長48m)。昭和36年(1961年)4月に完成した。 この橋を渡ると木津地区の人家があり、そこから上流に住宅はない。形状石を調査した濱口氏も、木津地区の古老から話を聞き出したという。 本流の上流には日本の谷百選に選ばれた「岩井谷」があるが、秘境であり気軽に立ち入れる場所ではない。

 
タンク岩イメージ

又口川右岸で、木津地区住宅の対岸にある。タンクとは戦車のことで、なるほどと納得できる形である。 戦車は第一次世界大戦中に基本形が整い実戦投入された歴史があるので、それ以降に名付けられたのだろう。高さは約5m、傾斜20度で水中へ突っこんでいる。

 
砲台岩イメージ

タンク岩の約20m上流にあり、高さは約7m。砲台とはもちろん大砲発射台のことで、こちらもなるほどと思うことができる形である。 タンク岩と砲台岩は並んでおり、名称は恐ろしいが、人家にも近いところにあり、親しみをもてる形状石である。

 
富士山イメージ

横山橋から下流を見ると三角形の石がある。写真は冬に撮影したので水位が低いが、上部のみならさらに富士山らしいだろう。 あやかり富士は山の名称として全国にあり、海山区の高丸山(標高607,2m)も相賀富士と呼ばれている。 「木津の富士山」は川にあり、珍しいと思う。昭和初期には名がついていたという。

スナゴイメージ

横山橋から上流側にはスナゴという場所がある。川砂が堆積する場所であり、しっかりと特徴をとらえた名称であると感心する。 今も昔も砂が堆積する場所であることは変わらない様子で、淵はきれいな青っぽい色をしている。一般的にスナゴより上流を魚飛と呼んでいる。

 
ちっさい坊主石イメージ

かわいい名前のちっさい坊主石、それでも高さは5mある。 県道の横は崖になっており、見下ろすことになるが、じっくり見ようと河原に下りてみると裏面は色白だった。 のっぺりとして丸い姿は坊主という名がふさわしい。坊主石の少し下流にあり、主従の関係となっているようである。

 
坊主岩イメージ

高さ8mの巨岩である。かつてはサツキが生え、その枝をつかまえて、てっぺんまで登れたという。 岩が永年にわたって侵食され、節理(岩の割れ目)が発達してまわりが流されてしまい、残った部分であると推測される。 「坊主石ハ、坊主ノ立テル形ヲナセルヲ以テ名アリ」(魚飛調書)

 
神楽岩イメージ

魚飛不動尊の正面、又口川の右岸にある。下部は白ナメラと呼ばれる石英斑岩の白い岩肌が美しい。 昔は白ナメラの水流溝をアユが跳びはねて上ったことから魚飛(うおとび)の地名となったという。 古い資料は「飛」と「跳」がどちらも使用されている。「神楽岩ハ、獅子ノ口ヲ開ケルガ如ク形ヲナセルヲ以テ名アリ」(魚飛調書)

魚飛不動尊イメージ

昭和3年4月に祀られた不動尊で、当時の木津区長西尾幸次郎氏が発起人となった。 4月29日が祭日で、昔は屋台店がでて、便ノ山から魚飛まで参拝の行列で埋まったという。 また、役行者石像も祀られているが、かつては神楽岩に安置されていたという。三仏寺の投入堂のような話である。

 
おたふく石イメージ

おたふくとは、丸顔、鼻が低く、額は広く、頬が丸く豊かに張り出した女性の顔のことで、起源は日本神話の踊り子アメノウズメであるとされる。 お多福、おかめともいう。濱口氏が聞き取り調査では分からず、何度も足を運び苦心の末、判別したという石でもある。 「オタフク石ハ、オタフクノ形ヲナセルヲ以テ名アリ」(魚飛調書)

 
弁慶の手形石イメージ

魚跳不動尊から50m上流の左岸にある高さ7mの巨岩。手形の部分はゼノリス(捕獲岩)というマグマが上昇してくる途中で他の石を取り込んだもの。 弁慶が通った際、この巨岩が動いて倒れてきたが、弁慶は受け止め戻して去って行ったと伝わる。かつては足形石もあったが道路工事で埋没してしまった。

 
黒ナメライメージ

木津第11橋という小さな橋が架かっている所で、県道よりも西側にある。 一枚の大きな岩盤が滝を形成し、あまり日も当たらず、苔が生え黒く見えるので黒ナメラと呼ばれる。 かつて、滑り落ちてけがをした人もいるらしいが、現在はここで遊ぶ人はいないと思われる場所である。

オオマラ

マラとは、僧の隠語で陰茎のこと。男石とも呼ばれる。高さ7mで石の上には展望台として東屋が設置されている。 河原から見るとそれらしい形をしていることに気づく。かつては近くに女石もあったが、道路工事で埋没してしまった。 「男石ハ、男ノ局部ノ如キ形ヲナセルヲ以テ名アリ」(魚飛調書)

 
講習がまのあったところイメージ

オオマラ石より少し上流に講習がまがあった。戦前、県の指導員が来て、炭焼きを始める人に指導した。 木炭はナラ・ブナ・カシなどの木材が用いられ、現在ならバーベキューや業務用として焼肉屋などで使われる程度だが、 戦後に石油やガスが普及するまでは普通に使われる燃料であった。

 
魚飛吊橋イメージ

県道760号と林道栃山木組線の交差点から対岸に架かる吊橋で、塔柱間50m、幅員1,5mである。 最大渡橋人員は約200人であり、しっかりしている橋ではあるが、橋の上に立つと、景観を楽しめる一方で、足下の河原が見え恐怖を感じる人もいる。

 
ワタリゼイメージ

県道760号は林道栃山木組線との交差点で道が大きくカーブしており、この辺りを「マガリト」と呼ぶ。 昔、木津地区から来た人は、ここで左岸から右岸へと渡り尾鷲市へ行く道があったという。 現在、その道は見あたらないが、馬越峠へ通じていたようである。

サルマ淵イメージ

滝が2本並んでいる。魚飛渓は、夏期には水遊びで賑わうが、台風後の増水などを見ると、やはり自然の脅威を実感する。

 
鳴岩イメージ

写真左下の大岩が右上の岩と同体であったが、平成16年の台風で落ちてしまったという。 この辺りは大水になると轟々音を立て激流となる場所であり、また、落ちてしまう前の鳴岩の下は、畳3枚程度の洞穴になっており、 這いつくばって入るとどこからともなく、轟々と鳴る音が聞こえたらしい。「鳴岩ハ、出水毎二ゴウゴウト鳴ルガ故に名アリ」(魚飛調書)

 
シャッポ岩イメージ

岩の少し上流にあるカーブを過ぎると見える。シャッポはフランス語でつばのある帽子のこと。 シャッポを脱ぐといえば降参するという意味である。シャッポ岩は頂上が平らで波紋のような岩肌の石。 高さ4mの岩であるが、昔はこの岩の中間が常時の水面の高さであり、岩の上にはサツキが生えシャッポ岩を飾ったという。

 
舟石イメージ

シャッポ岩から200m上流へ進むと延長49,0m高3,8mの魚飛トンネルがある。 その横にはヨットのような形状の舟石があり、帆の部分は高さ5m、45度の傾斜で東天を指した美しい形をしている。 他の形状石とは異なり、直線的で、まるで発展を示すシンボルマークみたいだ。

ぼたもち石イメージ

舟石から上流へ20mの所にあるのがぼたもち石。「棚から牡丹餅」のぼたもちである。形も岩肌もぼたもちによく似ている。 高さは5,5mあり、ぼたもちだとしたら、とても食べきれそうにない。「牡丹餅石ハ、牡丹餅ノ形ヲセルヲ以テ名アリ」(魚飛調書)

 
子づれ石イメージ

八丈岩の下流17mにあり、巨岩の親の上にちょこんと子ども石が乗っている。ほほえましい石の親子だ。 台風の大雨を何度も耐え、より添ってきた親子である。さぞかし乗り心地が良いのだろう。巨岩の親は高さ6m最大径15mで、子ども石は高さ1,6m最大径2mである。

 
坊主岩イメージ

魚飛形状石最上流の石が八丈岩である。昭和40年頃、石材業者が、この岩より上流部の巨岩を石材として切り出したため景観は一変した。 この八丈岩は名石ということで難を逃れたという。高さ4m,周囲約40mの一枚岩だ。 「八丈岩ハ、平石ニシテ畳八十畳余ヲ敷クベキ広サアルヲ以テ八丈岩ノ名アリ」(魚飛調書)

 

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濱口 禎也氏イメージ

濱口 禎也(はまぐち ていや)

昭和17年5月生まれ、尾鷲市在住。
元尾鷲市教育委員会生涯学習課課長。
海山郷土史研究会、熊野古道語り部友の会などで活動する。今は世界遺産となった熊野古道の調査にも携わった。

 魚飛渓の形状石、今回の特集は濱口禎也氏が調査した内容を写真付きで紹介させていただくことになった。 魚飛渓に巨岩が多いとは思っていたが、濱口氏が詳細に調査した形状石の話を聞くと断然おもしろくなる。現地に何度も足を運び調査した濱口氏にその思いを伺った。

Q:魚飛渓の形状石について昭和58年には調査をまとめ発表されていますが、どのように調査を進められたのでしょうか。

濱口:大正13年に相賀村役場が県に提出した「魚飛渓調書」という文書があります。当時から名前が付いており、現在まで伝わっていますが、 木津の古老に聞いても「名は知るが姿知らず」という具合で調査は困難でした。但し、木津集落に近いタンク岩、砲台岩、富士山は小学生でもよく知っていました。 間違いのないよう、複数の人から聞きとり、合致点を見つけていきました。

Q:魚飛渓の形状石は、地元の人が名付けた理由はあるのでしょうか。

濱口:形状石は、何らかの形状と伝承をもつ巨岩です。地図を持たない昔の人たちにとって「導石(しるべいし)」としての役割があり、 例えば「○○○岩まで行ってくる」のように使われました。これらのことは、調査して分かったことでもあります。

Q:最後にこの特集を見てくれた方にメッセージをお願いします。

濱口:魚飛渓は散策適地です。紅葉なども素晴らしいのですが、地質的にも特徴があります。形状石も一つの楽しみとして、知っていただきたいと思います。

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魚飛渓MAP

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