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紀北町観光協会
〒519-3204
三重県北牟婁郡紀北町
東長島2410-73
TEL 0597-46-3555
※電話番号をよくお確かめのうえ、お掛け間違いのないようご注意ください
FAX 0597-46-3556
mail info@kihoku-kanko.com

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紀北町は、三重県の南に位置し、世界遺産登録されたことで有名な熊野古道伊勢路が、町を縦断しています。 町内には世界遺産登録された5つの峠があり、それぞれ趣の異なる景観や道歩きの楽しみ方があります。
今回の特集は、筆者の住む三浦地区の北に位置する三浦峠と南に続く始神峠についてご紹介します。

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  • 始神峠セクションへ

三浦峠(熊ヶ谷道)

道瀬と三浦を繋ぐ標高113mの峠です。
約1.8㎞のヒノキとシダが生い茂る趣ある道が続く、ハイキングコースに適した初心者の方でも歩きやすい道です。
熊野古道は約1000年の歴史を持ちますが、明治期から荷車が通れるように整備されました。
しかし、車道として通りにくい道だったため、大正6(1917)年、三浦峠下に現在国の登録有形文化財にも指定されている道瀬隧道が掘られ、 かつては道瀬~三浦間をつなぐ唯一の道だったこの峠も人々の生活から遠ざかっていきました。

三浦峠道瀬側入口

入口近くには道瀬跨線橋があり、その下には「鉄道の旅100選」にも選ばれているJR紀勢本線が通っています。
かつては現在の線路上にも道があったそうです。

道瀬跨線橋から見たJR紀勢線

海と集落の間を線路が通っています。
列車が走る瞬間は絶好のシャッターチャンスです。

 
三浦峠

道瀬側入口から峠までは急な坂道ですが、峠から三浦までは穏やかな道が続きます。
現在の峠から景色は見えませんが、かつての道からは海が見渡せたようです。
事実、弘化2(1845)年4月に木本(現在の熊野市)の代官、仁井田長群はここを登った際、海に竜巻が発生しているのを目撃したそうです。
自身の書の中で「龍の水吸うに見る…」と記しています。

熊ヶ谷橋

世界遺産区間の境界で三浦峠の象徴ともいえるこの橋は、昭和19(1944)年に流失しましたが熊野古道の世界遺産登録を受け、2005年に復元されました。
総工費2200万円、総檜作りで、両杖式支柱を使う日本古来の橋梁工法で作られた橋です。

 

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三浦の集落

かつて三浦の人々は現在集落のある中野浦だけでなく、豊浦、玉津浦の三つの浦に分かれて住んいました。
しかし、いつしか人々は中央に位置し平地が多い中野浦にすむようになり、三つの浦の人々が集まって村を形成したため、三浦と呼ぶようになったと言われています。
その三浦の主産業は漁業で、江戸時代頃から地引網を使ったイワシ漁などが盛んでした。

海蔵寺にある地蔵菩薩像と庚申塔

三浦の海蔵寺にある何気ない石仏ですが、これらはこの地域とは石質の違う安山岩という石で出来ており、江戸時代に江戸から持ち出されたものとされています。
また、三浦の盆踊りの歌詞に「忠五郎船」という言葉が出てきます。
これは現在の海野地区にあった回船問屋「浜口忠五郎屋」の船で、紀州から江戸に材木や木炭を運んでいました。
この石造物は、その帰りに江戸から持ち運ばれたとする説があり、江戸と三浦の交流を証拠付ける物でもあるのです。

豊浦神社

今は無人の豊浦の地にひっそりたたずむこの神社は、大宝年間(700年頃)に建てられた三浦の産土(うぶすな)神社。(産土神社とはその人の生まれた土地を治める神を祀る神社のこと。) 日本武尊の御子、仲哀天皇を祭神とするが、その理由はかつて仲哀天皇がこの地に訪れ滞在された時、この地が天皇の行宮がある周防国豊浦に似ていたことから、豊浦と命名されたそうです。 天皇の没後、浦人たちはその遺徳を偲び、この神社を建立したといわれています。

 

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始神峠

始神峠は紀伊長島区三浦と海山区馬瀬を繋ぐ峠で、現在一般的な三浦側江戸道と馬瀬側明治道を通るコースは約4.8kmです。 標高は147mの低い峠ですが、頂上から見える熊野灘の眺めは「紀伊の松島」とも呼ばれ、天気が良ければ遠くは志摩半島まで視界に入る伊勢路随一の絶景といわれています。

江戸道三浦側入口と宮川第二発電所グラウンドの桜

江戸道の三浦側入口へは宮川第二発電所横の道を通って行きます。途中にある芝生のグラウンドは紀北町屈指の桜の名所でもあり、春には美しい桜が咲き誇ります。

峠からの景色

峠からはリアス式海岸の美しい景色が見渡せます。
その絶景を綴った昔の日記や詩があり、熊野を目指す巡礼者の心を癒してきたのでしょう。
江戸時代の越後の紀行作家鈴木牧之は
「大洋に潮の花や朝日の出」
「待ちかねて鶯啼か日の出しお」
と、眺めの美しさを詠んだ詩を残しています。

茶屋跡付近

峠には江戸から明治にかけて茶屋があり、簡単な食糧やわらじが売られていたようです。1717(享保2)年には紀州藩が茶屋売値を統一する決まりを公示しました。
例えば、小餅1個2文、草履1足4文、するめ10枚36文、大根漬け1本2文と定めました。
尚、当時の1文は現在の20円に相当します。
江戸時代は庶民文化の時代のためか、その値段は経済的でした。

 
宮谷池

始神峠を海山区側明治道から下り歩いていくと、木々の隙間から宮谷池が見えてきます。
宮谷池を左手にその湖畔の道を進んでいけば、馬瀬集落に続いていきます。

道瀬跨線橋から見たJR紀勢線

国道42号線三船トンネル近くにあります。
海山区側は明治道のコースを通る人が多数ですが、世界遺産に登録されているのはこの道です。
江戸道は、明治道に比べ勾配が急です。

 

取材協力:中野朝生氏(紀伊長島ふるさと懇話会会長)

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